ベアト写真等、幕末期から明治初期の風景古写真を着色したものです。失ってはいけない風景・文化を”古くさいもの”として破壊しつくした現在、自然と調和した美しい風景は消えてしまいました。着色することで少しでもその貴重な時代記録を再現できたらと思います。
東海道ということ以外場所は不明です。緑に包まれた茶屋と街道が美しい風景です。道としても水はけなど結構ちゃんと整備もされていたこの時代の東海道をのんびり歩いてみたいものです。
文久2年(1862年)薩摩藩士のイギリス人殺傷事件=いわゆる生麦事件の現場です。現在の横浜市鶴見区生麦で、事件現場は生麦小学校近く、絶命した場所がキリンビール工場と15号の交わる近くとされています。
当時愛宕神社に登ると江戸市中が見渡せ、幕末に外国人も上り"なんと美しい町か!"と感嘆したそうです。この鳥居奥の男坂と右にゆったり上る女坂は現在もほぼ同じでかなり面影を残しています。
不穏な幕末、警備を厳重にするため設けられた関門です。左崖下が広重の「神奈川」でもわかるようにすぐ海で、遠く金沢や三浦半島が望める景勝地でした。現在はマンションが立ち並び、崖下は埋め立てられ横浜駅へと続く商業地に変貌してしまいました。
琵琶湖・唐崎神社の境内にある四方に立派な枝を伸ばた美しい姿の松です。今も古写真の風景に近いものが見られますが、今の松は大正10年に枯れて倒壊した後の三代目の唐崎の松です。
東海道・横浜-藤沢間の鄙びた美しい日本の風景です。物質的には貧しかった時代でしたが、今の社会が失った情緒的豊かさを強く感じる写真です。
明治初期の宮ノ下を一望した風景です。まだ左手に富士屋ホテルはできていません。昔の日本の風景は本当に美しいものです。
江戸パノラマ写真の新橋側の一部です。調和のとれた瓦葺きのいらかの波が美しい風景です。欧米人にも絶賛された風景でしたが、今では高さ、デザイン、向き、全てがバラバラな雑然とした”東京”な風景になってしまいました。
箱根の旧街道ということではっきりした場所はわかりませんが、奥湯本と畑宿の間、女転し坂近くの須雲川に架かる橋のようです。風情ある美しい風景です。実際は侍は傘を差していないので日傘を差した風景かもしれませんが、緑濃い初夏の小雨風景として着色しました。
現在の東京郊外の町田です。あまりにも変貌したため、はっきりした場所はわかっていないようですが、金森側から駅近くの浄運寺方面を望んだ写真のようです。緑豊かな街道も今は、地方都市の狭い裏通りと変貌しているようです。
神田川を望むお茶の水の写真です。台地を削って造られたこの辺りを見ると、東京山手が、いかに山と谷でできているかがよくわかります。
幕末の箱根宿です。場所は箱根ホテルあたりから三島方面に向けて撮影されたようです。木造旅館は今はほぼありませんが、山並みは当時と変わっていません。
明治から昭和の白黒人物写真を着色したものです。カラーのない時代の写真は、雰囲気や味はあるもののリアリティを感じません。着色することで、少し身近な存在になるような気がします。
大正から昭和前期にかけての歌人で、大正三美人の1人と言われています。大正天皇のいとこでありながら、駆け落ちや夫へ絶縁状を突き付けるなど波乱万丈の人生を送りました。
戦前から戦後にかけて活動した、日本映画黄金時代の代表的大女優です。42歳で突然引退し全く公に出ることがなかったことから、日本のガルボ、伝説の女優と呼ばれました。
独自の世界を切り開いた詩人、童話作家です。岩手をモチーフとしたイーハトーブを理想郷とし、信仰と農民生活に根ざした作品は、世代を超え愛され続けています。
日本ミステリーの父と呼ばれ、また怪奇幻想の世界でも多数の名作を残す探偵小説の大家です。後年は児童向け「二十面相」シリーズや後の日本推理作家協会となる探偵作家クラブを結成しました。
近代日本の代表的作家です。今も読み継がれる数々の著名な作品を残しています。日本で最も”文豪”という言葉が似合う作家でもあります。
新橋芸者からサイレント映画のスターになった大正・昭和初期の女優です。戦前はいろいろスキャンダルがあったようですが、その後寺田財閥の寺田甚吉と結婚しました。
小津、溝口、成瀬等の大物監督にも重用された、日本映画史の代表的大女優です。大正時代にデビューし、晩年まで活躍しました。遺作は名作ドラマ「前略おふくろ様」でした。
「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」等で知られる19世紀の代表的作曲家です。今もCMやテレビで使われ、誰もが耳にする曲の多い作曲家です。
旧帝国ホテルの設計でも知られる世界三大建築家の一人です。モダンで現代建築にも多大な影響を与え続けますが、今の冷たい無機質な建築とは大きく違い、自然と調和する温かみがあります。
日本文学の代表的作家です。芸術的で重厚な大作から退廃美な作品まで、多様で濃密な世界を味わえます。また、ミステリーやサスペンスの先駆者でもあります。
サイレント映画時代の大女優です。その人気は世界的で、谷崎潤一郎の「痴人の愛」では、主人公ナオミの容姿がピックフォードに似ている、と何度も出てきます。
日本のグラフィックデザインの開拓者です。明治末・大正時代に洗練されたポスターや着物などの図案で三越のブランドイメージを成功させました。その後多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)の創設に参加し初代校長となりました。
銀行、紡績、鉄道など500近い会社の設立に参画した近代日本経済の父とも言われています。大河ドラマや新紙幣の1万円札の肖像画に決まりました。